こんにちは。morikanaです。
最近、自分の20代を振り返っていて、気付いたことがあります。
私はずっと「楽しいことが好き」だと思っていました。
でも今思うと、本当に求めていたのは楽しいことそのものではなく、
居場所だったのかもしれません。
20代の私は「楽しそうな人」になりたかった
学生のころやアパレルで働いていた頃。
私はいつも、楽しそうな人たちに憧れていました。
「あの素敵な人と仲良くなりたい」
「あのお洒落なグループに入りたい」
「話の中心にいる人になりたい」
誰かに誘われたり、仲間として受け入れてもらえたりすると嬉しかったし、
逆に誘われなかった時はものすごく落ち込みました。
「3人でプールに行ったんだ」
「みんなでハワイに行ったんだ」
そんな話を聞くたびに、なぜかモヤモヤしていました。
「私はだれからも好かれていないのかもしれない」
「スケジュールが埋まっていないのは私だけかもしれない」
とても不安になり、自分に自信が持てませんでした。
しかし、当時は理由がよく分かりませんでした。
でも今なら少し分かります。
私が欲しかったのはプールでもハワイでもなく、
他人に選ばれている感覚だったのだと思います。
私の居場所はどこだろう
昔の日記を読み返すと、
「私の居場所ってどこだろう」
という言葉がよく出てきます。
実家を離れて暮らし始めて。
大学では思うように友達ができなくて。
周りを見ると、みんな楽しそうに見える。
仲の良い友達がいて。
恋人がいて。
居場所があるように見える。
そんな中で私はずっと、
「私が安心していられる場所はどこなんだろう」
と探していた気がします。
だから人と仲良くなりたかったのも、人そのものというより、
その輪の中に入りたかったのかもしれません。
誰かに選ばれる自分に価値を置いていました。
「他人軸」は自分の想像の中にあった
今ならわかります。
当時の私は「他人軸」だったのだと思います。
ただ、他人軸という言葉を聞くと、
他人の意見に振り回されている状態をイメージします。
でも私の場合は少し違いました。
実際の他人を見ていたわけではありません。
「みんなはこう思っているはず」
「こういう人が好かれるはず」
「こういう人が楽しそうに見えるはず」
そんな、自分の頭の中で作り上げた他人を見ていました。
だから、
楽しそうな自分を演じる。
思った反応が返ってこない。
もっと演じる。
疲れる。
そんなループに入っていたのだと思います。
今振り返ると、
他人軸というより、
自分の想像の中の他人軸
だったのかもしれません。
恋愛でも「選ばれている自分」を求めていた
恋愛も少し似ていました。
私はどこかで、
この人と付き合ったら、自分の価値が上がる。
そんなことを考えていた気がします。
もちろん全部が演技だったわけではありません。
実際に一緒に過ごして楽しいこともありました。
でも今振り返ると、
「この人と付き合っていれば、うらやましいと思われるかもしれない」
そんな気持ちもあったと思います。
だから疲れていました。
「この人といたい」
「この人を大切にしたい」
「この人と楽しく過ごしたい」
というより、
「この人といる自分がどう見えるか」
「相手に何かをしている自分がどう見えるか」
を気にしていたからです。
今思うと、相手そのものより、その人といる自分を見ていた部分もあったと思います。
少し苦い気持ちになりますが、
それだけ居場所を求めていたのかもしれません。
人ではなく、自分を見ていた
少し耳の痛い話ですが、
当時の私は人と関わっているようで、自分のことばかり見ていました。
相手がどう生きたいのか。
相手が何を幸せだと思うのか。
そういうことよりも、
その人といる自分がどう見えるか。
その人に選ばれている自分が好きでした。
今でもたまにそういう気持ちになることはあります。
でも、この考え方には限界があることも分かりました。
なぜなら、
どれだけ他人に選ばれても、
自分で自分を認められなければ不安は消えないからです。
当時の私は、
安心したかった。
認められたかった。
居場所が欲しかった。
そのことで精一杯だったのかもしれません。
今は「楽しい」より「興味深い」が好き
最近、自分の好きなものを考えると、
- 緑
- 花
- 動物
- 健康
- 料理
- 旅行
- 暮らし
そんなものばかりが浮かびます。
どれも誰かに見せるためのものではありません。
もちろん今でも友達と会って笑うのは好きです。
人と話して爆笑する時間も好きです。
そういう幸せそうな自分を見てほしいと思うこともあります。
でも以前のように、
誰といるかで自分の価値を測ることは少なくなりました。
むしろ最近は、
調べて。
考えて。
悩んで。
自分なりの答えにたどり着く。
そんな過程の方が面白いと感じます。
楽しいというより、
興味深い。
そんな感覚です。
家探しでも同じことが起きていた
振り返ると、家探しも同じでした。
最初は正解を探していました。
- 資産価値の高い家
- 合理的な家
- 失敗しない家
誰かが良いと言う家を選ぶ安心感。
でも途中から、
私たちはどんな暮らしがしたいのか。
何に幸せを感じるのか。
そんなことを考えるようになりました。
気付けば家探しではなく、価値観探しになっていました。
そして最後には、
誰かから評価される家ではなく、
自分たちが納得できる家を選びました。
それは昔の私が探していた「居場所」とも、どこか繋がっている気がしています。
居場所を探す人生から、居場所を作る人生へ
最近思うのは、
本当の自分なんてないのかもしれないということです。
人は変わるし、いろいろな面があります。
だから本当の自分を探したいわけではありません。
ただ、
誰かに見せるための人生ではなく、
自分自身が素直に楽しめる人生を送りたい。
誰かに選ばれるためではなく、
自分で納得できる選択をしていきたい。
そんなふうに思っています。
20代の私は居場所を探していました。
誰かに選ばれることで安心したかった。
誰かといることで自分の価値を確かめたかった。
でも今は少しずつ、
自分の居場所を作れるようになってきた気がします。
家族との暮らし。
緑を眺める時間。
料理をする時間。
考えて、自分なりの答えを見つける時間。
昔の私は「楽しそうに見える人生」を求めていました。
今の私は「納得できる人生」を求めています。
そして最近は、
「楽しい」よりも「興味深い」に心が動くようになりました。
それは、ようやく自分の居場所を見つけ始めたからなのかもしれません。


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