こんにちは。morikanaです。
最近、
「もっと楽しいことしたいな」
と思うことがあります。
育児もあるし、毎日やることもある。
だから、なかなか自由な時間がないのは確か。
でも、ふと考えてみたんです。
「時間ができたら、私は本当に楽しいことをするのかな?」
すると、なんだか違う気がしてきました。
よく考えてみると、私は「楽しいこと」まで、誰かに用意してもらおうとしていたのかもしれません。
「楽しいことがしたい」と思っているのに、何も始まらない
最近、
「もっと楽しいことしたいな」
と思います。
でも、よく考えてみると、
友達と遊んだら楽しいかも。
旅行、誰かが計画してくれたら嬉しいな。
誰かがハマっていることを教えてくれたら楽しそう。
夫が楽しいスポットを調べて連れて行ってくれたらいいのに。
……と、自分から何かを始めようとしていない。
「楽しいことがしたい」と思っているのに、自分で「これをやりたい!」と決めて動くことは、意外と少ない。
そこで、ふと気づきました。
「私、楽しむことまで人任せにしてない?」
好きな洋服まで、人に決めてもらおうとしていた
それに気づいてから、他にも思い当たることがありました。
たとえば、私は洋服が好きです。
本当なら、
「この服かわいい!」
「これ着たい!」
で選べばいいはず。
なのに、最近は、
「私にはどれが似合うかな?」
と、夫に判断してもらおうとしている。
もちろん、人に意見を聞くこと自体は悪くない。
でも、いつの間にか「私はこれが好き」よりも、「人から見てどうか」を優先しようとしている自分がいました。
そして、人に選んでもらったものが気に入らなかったときには、
「なんか違った」
「だって私が決めたわけじゃないし」
みたいな気持ちになって、目の前にあるものが急にどうでも良くなってしまう。
でも、それって考えてみたら当然なのかもしれません。
自分で選んでいないものに、自分の人生の満足を預けている。
自分で選んでいないから、うまくいかなかったときも、どこか他人事になってしまう。
それって、ちょっと無責任だなと思いました。
「人からどう思われるか」で選ぶことも、同じだった
これは、楽しむことだけじゃありません。
私は以前から、
「こうしたら素敵に見えるかな」
「こういう人だと思われたい」
「こうしたほうが評価されそう」
と、人からどう見られるかを基準に選ぶこともあります。
でも、そうやって選んだことって、全然面白くない。
そして、うまくいかなかったとき、
「私は本当はこうしたかったわけじゃないし」
と、自分の選択として責任を取れなくなる。
よく考えてみたら、
人の目を気にして選んだのに、結果だけは自分の人生として引き受けなければならない。
それはすこし苦しい気がする。
人からどう思われるかを考えているうちに、肝心の「私はどうしたい?」が置いてきぼりになってしまうのです。
「自分は何がしたい?」を、もっと大事にしたい
だから、もっと単純に考えてみたいと思いました。
「あー、島行きたいなぁ」
「可愛いお皿を買いに行きたい」
「そういえば砂漠、見たかったんだよな」
「このスポットに子どもを連れて行ったら、どんな顔するかな」
「この服、着たい!」
そういう、ふと出てくる小さな欲求。
誰かに「それいいね」と言ってもらわなくてもいい。
誰かに「それ、似合うよ」と言われなくてもいい。
自分が「やってみたい」と思ったなら、それだけで十分なんじゃないか。
大きな夢じゃなくてもいい。
旅行に行くとか、何か新しいことを始めるとか、そんな大きなことじゃなくてもいい。
「今日はこのお皿を見に行きたい」
「この服を着て出かけたい」
「子どもとここに行ってみたい」
そんな小さな「やりたい」を、自分で拾ってあげる。
そういうことから始めてみたい。
自分で自分を楽しませる人になりたい
「誰かが楽しませてくれたらいいな」ではなく、
「私は何をしたら楽しいかな?」
と、自分に聞ける人でいたい。
誰かが誘ってくれるのを待つだけじゃなく、自分から誘ってみる。
誰かが旅行を計画してくれるのを待つのではなく、自分が行きたい場所を探してみる。
誰かに似合うと言われるのを待つのではなく、「私はこれが着たい」と選ぶ。
そういう小さな能動性が、人生を少しずつ面白くしてくれるんじゃないかと思います。
「楽しいことがない」と思っていたけれど、もしかしたら、楽しいことがないのではなくて、自分から楽しみに行っていなかっただけなのかもしれない。
他人に人生を委ねるのは、楽。でも……
人に決めてもらうのって、実はすごく楽です。
「どうしたい?」と聞かれたら、「どっちでもいい」。
誰かが決めてくれたら、それに乗ればいい。
失敗しても、
「私は選んでないし」
と言える。
自分で選んでいないから、自分で責任を負わなくてもいい。
でも、その状態が続くと、
「じゃあ私は、何がしたかったんだっけ?」
となってしまう。
「何のために生きているんだろう」
という感覚にもつながっていく気がします。
自分の人生について「どうでもいい」と人に判断を委ね続けるのは、楽なようでいて、実は少しずつ自分自身から離れていくことなのかもしれません。
誰かにおすすめしてもらうのも、誰かに連れて行ってもらうのも、もちろん楽しい。
人の意見を聞くことも大切。
でも、最終的に「私はこれがいい」と選ぶところまで、人に預けてしまわないこと。
そこは、自分で持っていたい。
失敗しても「私が選んだ」と言える大人でいたい
もちろん、自分で選んだからといって、全部うまくいくわけじゃありません。
旅行に行ってみたけど、思ったほど楽しくなかった。
買った服が、実際に着てみたら似合わなかった。
行きたかった場所に行ってみたら、期待外れだった。
そんなことも、きっとある。
それでも、
「でも、私は行きたかったから行ったんだよね」
「じゃあ次は、こうしてみよう」
と言えたらいい。
失敗したことより、自分で選んだことを大事にできる人でいたい。
誰かの正解を生きるのではなく、
「私はこれがしたい」
をちゃんと拾って、自分の人生を自分で選んでいく。
そのほうが、たぶん人生はずっと面白い。
思えば私は、「何か楽しいことないかな」と、ずっと外側を探していたのかもしれません。
誰かが誘ってくれないかな。
誰かが楽しませてくれないかな。
誰かが「これが似合うよ」と教えてくれないかな。
でも、本当はもっと自分から、
「あれやってみたい」
「ここ行ってみたい」
「これ欲しい」
「これ着たい」
と言っていい。
自分を楽しませることが、自分の人生を生きるということなのかもしれない。
もっと、自分を楽しませよう。
誰かに楽しませてもらうのを待つのではなく、自分で自分の「やりたい」を見つけてあげよう。
そして、たとえ失敗しても、
「私はこれがしたかったんだ」
と、自分の選択をちゃんと引き受けられる大人でいたい。
そんなふうに、自分の人生を楽しんでいきたいと思います。


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