こんにちは。morikanaです。
最近、
「痩せたいな」
と思うことがよくあります。
街やSNSで細くて綺麗な人を見ると、
「いいな、私ももっと頑張らなきゃ」
と思う。
久しぶりに友達と会えば、細くてきれいな体型がうらやましいと思い、
家族に会えば、
「最近全然痩せないんだよね」
とネタみたいに話題にしてしまう。
「そんなことないよ」
とでも言ってほしかったのか、と家に帰ってから恥ずかしくなったり。
でも最近気づいたんです。
私が苦しいのは体重そのものではなくて、
比較していることなんじゃないかと。
昔から比べていた
姉は細い。
親友も細くて、年々きれいになっているような気がする。
私は昔からどちらかというと普通体型で、昔はかわいいと言われることもあったけれど、35歳を過ぎてからは少しずつ体型の変化を感じるようになった。
姿勢も悪い。
肩が丸まり、首が前に出ている。
夫に撮ってもらった写真を見て、
「私ってこんなにおばさんっぽかったっけ?」
と思ってしまうこともある。
そして、
姉は。
親友は。
職場の友人は。
と、無意識に比較してしまう。
でも、よく考えると比較しているのは体型だけではない気がする。
私は昔から、誰かと自分を比べては、自分の価値を測ろうとしていた。
比較をやめるには
数字だけ見れば、私は特別太っているわけではない。
誰にも会わなければ、そこまで悲観することもない。
それなのに、人と会った後は急に自信がなくなる。
いや、正確には違う。
もともと自信がないところに、
誰かと比較することでさらに傷ついている。
攻撃の二段構えだ。
比較をやめたい。
でも、たぶん比較そのものをやめることはできない。
人はどうしても比べてしまう生き物だから。
SNSを見ても、
友達に会っても、
きっとこれからも比較する。
だから目指すべきは、
比較しない人になることではなく、
比較しても自分に戻ってこられる人になることなのかもしれない。
本当に欲しかったもの
振り返ると、私は小さい頃から「かわいい」と言われることはあった。
でも、
努力したことや、
頑張った過程や、
内面を褒められた記憶はあまり多くない。
だからなのか、
外見が変わると自信まで一緒に揺らいでしまう。
痩せたい。
綺麗になりたい。
そう思う。
でも本当に欲しかったものは、
細い体型ではなかったのかもしれない。
私は認められたかった。
誰かに、
「いいね」
と思われたかった。
「大丈夫だよ」
と言ってほしかった。
でも、それを他人の評価だけに任せていたら、きっと一生安心できない。
誰かが褒めてくれても、
もっと綺麗な人が現れる。
もっと若い人が現れる。
もっとすごい人が現れる。
比較の相手は無限にいるからだ。
だから私は、
自分で自分を認められるものを持ちたい。
外見だけではなく、
これが私だと言えるものを持ちたい。
欲しかったのは、
誰かと比較できない内面の自信だったのかもしれない。
比較のいらない自信を持つには
では、その自信はどうやって作ればいいんだろう。
自分の良いところを書き出してみる。
できたことを振り返る。
誰かに聞いてみる。
AIに聞いてみる。
どれも悪くないと思う。
実際、以前チャッピーに私の強みを聞いたことがある。
そのとき、
「地道に自分を見つめながら成長していく力が強い人」
と言われた。
少しうれしかった。
もちろんAIの言葉だけで自信がつくわけではない。
でも、自分では当たり前だと思っていたことを言語化してもらうことで、
自分の良さに気づけることもある。
勝ち負けや成果ではなく、
「こういう力があるから私は大丈夫」
と思えるものを少しずつ増やしていきたい。
子どもを見て思うこと
娘には、
見た目だけで自信を持つ人になってほしくない。
優しさや、
挑戦したことや、
努力したことに自信を持ってほしい。
そう思う。
でも、それは本当は娘だけではなく、
昔の自分にかけてあげたい言葉なのかもしれない。
見た目だけじゃなくていい。
誰かと比べなくてもいい。
あなたにはあなたの良さがある。
そんな言葉を、今の自分にも少しずつかけてあげたい。
まとめ
痩せたい気持ちはある。
運動もしたいし、姿勢もよくしたい。
だから筋トレも続けたいと思う。
でも、
人と比べて自分を嫌いになるためではなく、
自分が心地よく生きるためにやりたい。
比較を完全にやめることは、きっとできない。
これからも誰かを見て落ち込む日があると思う。
それでも、
比較の世界から帰ってきて、
「それでも私は私だよね」
と思える回数を増やしていきたい。
最近はそんなふうに思っています。


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