こんにちは。morikanaです。
最近、SNSとの距離感がよくわからなくなっています。
昔は誰かの投稿を見て、
「私は何もできていないな」
と思うことがありました。
あの人は仕事で活躍している。
あの人はおしゃれだ。
あの人は毎日楽しそうだ。
見えるのはその人の一部分だけだとわかっていても、つい比べてしまう。
私だって。
私もちゃんと頑張っている。
私も楽しく暮らしている。
そんな気持ちで投稿を重ねていた時期もありました。
見ていて、
「あの人より私はまだマシかもしれない」
と思いたくなったり、
「あの完璧そうな人にも嫌なところがあるんじゃないか」
と、人の粗探しをしてしまったり。
そんな自分に気付いて嫌な気持ちになることもありました。
今思えば、傲慢だった20代は優越感に浸っていた部分もあった気がします。
でも最近は、少し違う理由で発信をためらうことがあります。
この投稿は、誰かを傷つけてしまわないだろうか。
そんなことを考えるようになったのです。
不妊治療を頑張っている友人の話を聞いたことも影響しているのかもしれません。
私にとっては何気ない日常の投稿でも、誰かにとっては苦しく感じることがある。
そう思うと、何を発信したらいいのかわからなくなっています。
比較はやめたいのにやめられない
私は昔から気付けば人と比較しています。
あの人の方が痩せている。
あの人の方がおしゃれだ。
あの人の方が充実していそうだ。
羨ましいことばかり目についてしまう。
そして、
「なんで私は」
と自分を責めたり、
自分の理想の自分でいるために、
本当はいらないものを買ったり、
疲れているのに予定を詰め込んだり、
無理に投稿をしたり。
比較することで前向きになれるどころか、むしろ自分を苦しめてしまうことの方が多かった気がします。
同じ箱にいたからこそ比べてしまう
考えてみると、SNSで繋がっている人の多くは昔の同級生や元同僚です。
同じ教室。
同じ学校。
同じ会社。
かつて同じ場所にいた人たち。
だからこそ比べてしまうのかもしれません。
あの頃は同じ場所にいたのに、
あの人はここまで来ている。
それに比べて私は──。
そんなふうに考えてしまうことがあります。
本当は人生の条件も環境も違うのに、どこかで同じスタートラインに立っていた気がしてしまう。
だから比較が生まれる。
SNSは便利だけれど、その感覚を強める場所でもあるような気がしています。
比較される側になることもある
一方で、自分も誰かから見られる側です。
私は別に、
「自分は誰よりも幸せだから嫉妬される」
なんて思っているわけではありません。
ただ、自分のことが誰かの会話のネタになるのは少し苦手です。
「あの人、最近こうらしいよ」
「あの人、変わったよね」
時には、昔私のことをあまり好きではなかった人が、
「あの人、今こんな感じなんだ」
と笑っている姿まで想像してしまうことがあります。
実際にはそんなことはないのかもしれません。
でも、そんな想像をしてしまうくらい、私は人の目を気にしているのだと思います。
もちろん、実際には誰もそこまで他人のことを見ていないのかもしれません。
でもSNSは、見ようと思えば昔の知人の近況まで簡単に知れてしまう場所です。
比較することにも、比較されることにも、少し疲れてしまったのかもしれません。
それでも発信したい理由
それなら発信をやめればいいのかというと、そうでもありません。
私は今、ブログを書いています。
考えてみると、私が本当に欲しかったのは「たくさんの人から注目されること」ではなかった気がします。
昔は、たまたま同じ学校だった人たちと過ごしていました。
たまたま同じ会社だった人たちと働いていました。
でも今は違います。
無理に同じ箱の中でうまくやろうとするのではなく、
「その考え方、いいね」
と思ってくれる人と繋がれたらうれしい。
私も、
「その考え方、好きだな」
と思う人と出会えたらうれしい。
SNSではなくブログを書いている理由は、案外そこなのかもしれません。
自分で自分を認められたら
比較の先に安心はありませんでした。
誰かより上に立てたと思っても、また別の誰かが現れます。
終わりのない競争です。
だから最近は、
「人からどう見られるか」
よりも、
「自分がどう感じるか」
を大事にしたいと思うようになりました。
もちろん、人から認められたらうれしいです。
褒められたらうれしいです。
でも最後に付き合うのは自分自身。
そして、本当に繋がりたいのは、昔たまたま同じ教室にいた人たちではなく、
今の私の考え方や価値観に共感してくれる人たちなのかもしれません。
自分で自分を認められる時間が少しずつ増えていったら。
そして、自分らしくいられる人たちとゆるく繋がれたら。
それだけで十分幸せなのかもしれないな、と思っています。


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